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アジズとの対話

読書をしていると自己を忘れ、本に注意を奪われてしまいます。

しかし、長らく関連図書に触れないと、別の意味で眠ってしまいます。

覚醒にはそれを焚きつける外部からの刺激が必要なのです。


24年前、ウスペンスキーの「人間に可能な進化の心理学」で
初めて自己想起の概念を知って以来、一年間の修行の後、
20数年間眠り続けた私を再び揺り起こしたのは、
アナディことアジズ・クリストフの「アジズとの対話」です。


この本は劇薬です。


アジズは対話の中で、何度も自己への留意、意識の中心へ
注意を呼び戻すことを呼びかけています。

自己想起こそがすべての道に先立つ、最優先課題だと言っているのです。



目の内側

思考の裏側

Me,I, 私

ステート・オブ・プレゼンス

気づき

意識

主体

自己

意識の中心

思い起こす



こうした言葉が眠りかけた意識に灯をつけてくれます。


アジズは何より自己想起に重きを置く、真のマスターです。



覚者の言葉で目を覚ましたあと、再び内的な闘いへと戻るのです。


このブログの人気の投稿

覚醒への参考図書

ナチュラルスピリットの本は、今最も覚醒に近いものが多いです。


やまがみてるお/「いまここ」にさとりを選択する生きかた


この本が20数年ぶりに自己想起へ本腰を入れるきっかけになりました。

とてもわかりやすく覚醒の本質を書いてくださっています。

やまがみさんはブログでも情報を発信されていて、
そちらも本同様におすすめです。


誰でも「悟り」プロジェクト   意識の中心みいつけた!
http://oyamagamiteru.blog.fc2.com/




そして、本ではありませんがブログで情報を発信される、
無空庵の無空さんも、わかりやすく覚醒を説明してくださっています。

そのお弟子さんのブログがおすすめです!


本当の自分はただ在るだけで幸せです
http://nobinobi555.blog.fc2.com/




また、木幡等(こわたひとし)さんのサイトの文章も参考になりました。


木幡等(こわたひとし) Official Website
http://www.sky.hi-ho.ne.jp/kowata/





その他、アジズ・クリストフ、フーマン・エマミ、アジャシャンティ、
エックハルト・トールなども基本的に同じことを言っています。



今は両者の引っ張り合い、綱引きの状態だ

一夜明けて、強烈な眠りの揺り戻しがきた

自己想起がうまくいった場合、翌日はその分、

抗しがたい眠りがやってくるのが通例


今までならそのまま数日、数週間、数ヶ月と眠り続けていた

だが今度ばかりは違う


このままではいけないと感じた私は、夜にも関わらず

5時間に及ぶ「歩禅」に取り組んだ

「歩禅」とは読んで字のごとし、歩きながら行う禅だ


道をゆっくり歩きながら、目の内側の「主体」に注意を向け続ける

「自己」に対する気づきを保ち続ける

「i」を意識し続ける


長時間の格闘の後、どうにか昨日レベルの気づきを取り戻した

しかし取り戻すまでの間、以前のイラつきがぶり返した

対象の相手に心の中で罵詈雑言を尽くした

理屈では私が正しい、しかし現実は正論など蹴散らして進行する


この苦境を脱する道はただひとつ、自己を想い起こし、

ぐるぐる回りを繰り返す同じ思考とそれに基づくイラつきを

超然と超えることしかなかった


i, i, i,…

私, 私, 私…

Me, Me, Me,…


気を失いかけている人を呼び起こすように

私は自身に向かって呼びかけ続けた


するとまばらに、ふと「すっ」と安らかな瞬間が訪れた

今までのイラつきから離れた、どうでもよくなった心境が表れた


イラつきの最中には「どうして自分はこのような目に合うんだ」

と憤りの思いしかなかったが、安らぎの瞬間には、

「いや、こうした四面楚歌の状況だからこそ、自己想起へ追い立てられるのだ」

「彼らはそのために憎まれ役を演じてくれているのだ」と心から素直に思えた

しかし、気を抜けばすぐにまたイラ立ちに戻る


今回はそれでも、安らぎの側へ戻せるインターバルが縮まった

また、憤りながらも、どこかで醒めている自分がいる

今は両者の引っ張り合い、綱引きの状態だ


意識を取り戻すと、脳の中でミシミシと音がする

また、脳の後ろへ引っ張られる感じがする

視床のあたりが引き延ばされる感覚がある


あと、昨日初めて、コンビニのレジで、自己を保ったまま

軽く会話し、お釣りを受け取ることができた

愛と充足感の源である「自己」を見失わないでください

まず何を想起するのかをハッキリ認識する必要があります。

一般に自己想起という場合、自分の肉体の感覚、呼吸、思考、感情などに、
気づいていることだと考えるケースも多いようです。

しかし、これらは「自己」ではありません。

「自己」は肉体や思考、感情の内側に在って
それらを裏からじっと見ている存在です。


今、この文字を目を通して見ている存在が「自己」です。

「自己」は目の内側、眉間の奥、意識の中心にあって
そこから肉体を含めた自分の存在を体験、認識しています。

「自己」こそが、この世にやって来た私(あなた)の正体です。

それは意識体であり、肉体ではありません。

肉体に宿り、それを操縦する者です。


「自己想起」とは、この「操縦者」を想い起こし、気づきを定め、
覚醒状態を保ち、定着させることです。

習い事は一日数時間ですが、「自己想起」は一日の起きている間すべてです。

「人の子が頭を横たえる場所はないのです」とキリストは言っています。


意識の中心に、日に何度も注意を引き戻すことです。

私たちの関心は、目に映る周囲のできごとと、
脳内のおしゃべりに向けられています。

やっつけなければならない考え事に追われ、
すべてが解決しないまま、疲れて床に就きます。

翌日起きると別の新らしい、処理すべき考え事に追われ、
その日もまた一日中、対処法を考えて終わっていきます。

これが一生繰り返されます。


この輪の中から抜け出し、夢から覚めた
「自己意識」の状態へ還る作業が「自己想起」です。

いつでも中心を保ってください。

愛と充足感の源である「自己」を見失わないでください。

ついに地元の田舎の書店にも自己想起に触れる本が置かれ始めた

先日何気なくその書店に立ち寄ると、ほぼ見る価値のない本の中で一冊だけ
中野真作という人物の新刊の背表紙が目に留まった

その日はペラペラと立ち読みして帰ったが
翌日、気になって購入した

氏の著書には「意識そのものを意識する」「主体を意識する」といった
自己想起そのものを示す言葉が記されている

たとえ表面をかする程度でも、自己想起に触れる著作が
片田舎の書店に置かれたのはこれが初めてだと思う

いよいよ時が来たのかもしれない



日本人の近年の著作としては他にやまがみてるお氏のものが面白い

この二人に共通しているのは「自己想起」やグルジェフには一言も触れずに
結果として「自己想起」そのものを薦めている点だ

二人はおそらく「自己想起」のみならず、「注意の分割」「苦しみの変容」も知らない
ウスペンスキーもアウン・ベオールも知らない

中野氏に至ってはアジズにすら触れていない
「ステート・オブ・プレゼンス」は知っているようだが、それほど重視していない
これがすべての土台なのに・・・



「ステート・オブ・プレゼンス」はアジズの専売特許のようになっているが
平たく言えば「自己想起」そのものだ

要はすべての霊的カリキュラムは「自己想起」を中心に展開しているのだ
「自己想起」がなければ思考や呼吸、足裏の感触に気づくといった
一般的な「自己観察」すら難しい

いやむしろ、本当に自己想起ができていれば観察すべき思考すら起こらない
マインドは自然と停止する


アジャシャンティやエックハルトは未解決の無意識層の痛みや苦しみ、悲しみに
スポットをあてることを強調しているらしい
(彼らの本も数冊読んだがあまりピンとこなかった)


しかし覚醒とは暗闇の部屋に「パン」と電灯のスイッチを入れるものだ

明かりがつけば闇は消える

それだけだ



アジズはマインドやその奥にある未解決のトラウマには触れない
それより徹底して「ステート・オブ・プレゼンス」を促す

そこがすばらしい


「ステート・オブ・プレゼンス(自己想起)」はそれを知り尽くした人間ですら
キープすることは難しい

イエスですら嵐の船上で眠ったことを告白している



今後さらに「自己想起」そのものに触れる著作は増えることだろう

人類の次の進化は「自己想起」がどれだけ浸透できるかにかかっている














覚醒へのカウントダウン

覚醒へのカウントダウンが始まりました。

私はこの数ヶ月、グルジェフの言う"自己想起"に集中してきました。

自己想起とは字のごとく、自己に気づき、想いだす作業です。

具体的に言うとこういうことです。



はい、今、この画面を見ている"あなた自身"に気づいてください。

椅子に座り画面の字を追う"あなた自身"にです。


どんな姿勢でしたか?

猫背で画面に見入っていませんでしたか?

キーボードに置いた手の感覚、床についた足の裏の感覚、
座った椅子の感触を思い出してください。

目の内側からディスプレイを見る"主体"を意識してください。


それは呼吸の内側にいます。

目の内側にいます。

思考、頭のおしゃべりの内側にいます。

頭のうしろ、後頭部、脳の中心、脳自身にいます。


この"主体"に気づき続けるのです。

"主体=自己"に留意し続けるのです。


意識の中心、自己意識の中心から生きます。

そこから外部を眺め、体験します。


外界のできごと、自分の思考、呼吸ですら、
"自己意識=主体"の外側になります。

真の自己、真我、主体、意識はすべての中心に位置します。

芯の芯、核の核、これ以上内部には進めない脳のセンター。


松果体と呼ばれる脳の中心の器官に位置します。

その器官がアクセレーターなのです。


私たちの実態は目に見えない"意識"です。

この"意識"と肉体をつなぐ器官、それが松果体なのです。



松果体が活性化することで、私たちは"意識=主体=自己"との
つながりを取り戻します。

松果体を活性化させるには、それに留意すること、
注意を向け続けることが必要です。

すなわち脳の中心に気づいていること、意識を置いていることです。


これを平たく言うと、"自己想起=自分自身に気づく"ということになります。




自分に気づいた状態が四六時中定着することを"覚醒=悟り"といいます。

これは意識の視点が"自我=エゴ"から、その内側の"自己=主体へと"
スライドし、その状態が常に保たれていることです。

"自我=エゴ"からでは…

自己想起で意識すべき脳内の位置 ~ 目の高さより上にある視床と松果体

このブログではよく「目の内側」という表現をとっています。
自己想起の際、注意を向けるポイントとしてこの表現を使っています。

しかし最近、「目の内側」だけでは位置の指定が曖昧だと気づきました。
実際には「目の内側」かつ、「斜め上」です。
朝目覚めて、ベッドからいきなり起き上がるのではなく

しばらく目を閉じたまま注意を意識の中心に向けてください

目の内側、眉間の奥にある主体、自己自身にです

中心にアクセスし、しっかりとつながりをもってください


寝起きはマインドの活動が鈍く、雑念も比較的少ないです

この好機に一気に中心とのつながりを強めるのです

そしてその状態をキープしたまま、その日の行動に移ってください


自己想起から逃げない

自己想起があまりに厳しくしんどいため

つい言い訳を作ってそこから逃げてしまいます。


私もそうでした。

それは20数年も続きました。


祈りや瞑想やあらゆる修養法を試み

一時的に悟ったような気分になっても

すぐにまた普通の自分に戻りました。




20数年逃げ続けた結果、

やはり自己想起以外にさとりへの道を開くものはない

と確信しました。



仕事に逃げたこともあります。

自分は音楽に携わってきたため

音楽で人を幸せにするのが使命だと思い込んでいました。


けれど神はそれを許しませんでした。


そして人生のあらゆる道を塞ぎ

逃げ場を失くし

自己を想起する以外どうしようもない

という状況に追いこまれました。


しかしこれも自分が用意したことでしょう。



もう逃げません


逃げても無駄なのです。



ただ自己に気づき続けるのみ


目の内側の主体を保ち続けるのみ



自己想起は人類共通の責任なのです。


自己想起を知ったのは...

実は私が初めて"自己想起"を知ったのは、今から24年前、
1991年のことです。


以来、思い出してはその都度トライしたものの続かず、
のんべんだらりと22年が過ぎてしまいました。

自己想起は他のどんなワークより厳しく難しく、疲れる作業です。


しかし、2年前の歯痛をきっかけに、また忽然と意識に注意を向け始めました。

この間、父のがんと死や自分の腰痛の激化などで、
数ヶ月作業を忘れましたが、今年に入って再び本格的に作業に入りました。


そしてようやく、ようやく目処がついてきたことで、
このブログを始める決心がつきました。


書き始めることで追い込み、逃げ場をなくすためです。

また、同じような道を歩む方々にとって、少しでも役立つ情報や
知識をご提供できれば... という思いからです。


ですからこれからの日々、折を見ては日記のように
経過を報告させていただくつもりです。