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7月, 2016の投稿を表示しています
「自己」とは何か? 思考に「気づいている者」 呼吸に「気づいている者」 肉体の感触に「気づいている者」 耳を通して「聴いている者」 目を通して「見ている者」 中心にくつろぐ「気づき」
「自己」を意識の中心にキープしたまま歩く 「意識」が脳に宿り肉体を操縦している そのままストアに入る キープしたまま店内を歩く 目当ての商品を見ながら 内側から観ている「者」に注意を反転させる 主体に気づく そこにいる「I」 あらためて商品に目をやる 商品を見ながら、見ている「自己」にも目を向ける 「意識の分割」 注意を客体と主体の双方向へ分割する その状態を保つ 「自己」への注意をやや強めに保つ 客体への注意は自動的に行われるから 「主体」を失わない そのままレジへ行く 会計をしながらレジ前に立っている「者」に気づく お礼を言いながら、今の状態に 「気づいている者」にも注意を向ける 「注意の分割」 しかし「自己」への気づきを強めに保つ
自己意識の定着度を測る江ノ電沿線の旅 2 2日目。 今日こそ、江ノ島のリベンジだ。 ホテルを発つ前に、到着後と同じように、2時間ほど自己へ注意を向けた。 よく寝たせいか、なかなか調子がいい。 早々にホテルを発つと、まずは藤沢へ向かった。 ホテルで自己をキープしたままの状態でチェックアウトし、 平塚駅から藤沢駅までの東海道線、 そして藤沢から江ノ島までの江ノ電と、意識はクリアだった。 考えてみれば藤沢も江ノ電も、何度となく訪れたり乗ったりしていたが、 自己を想起しながらそこを過ぎるのは初めてだった。 いや、ホテルで自己を想起したのも初めてだった。 東海道線だって意識を中心に保ったまま乗ったのは初めてだ。 私が本格的に「自己想起」に取り組み始めたのは3年前のことだ。 やっと、今までとは違う段階に踏み入ったことを実感する。 藤沢から江ノ島までの江ノ電は、完全に市街地を抜けていく。 車窓にはくっつきそうな民家が流れていく。 それを見ながら、やはり「見ている者」に気づいている。 主体への気づきはキープできている。 そのまま、江ノ島駅で降りると、ロッカーにバッグを詰め、 手ぶらで江ノ島まで歩いた。 途中、10年以上前に、知り合いと語らったコーヒー店を見つける。 「あれから16年か…」 しかし、思い出にひたることなく、自己への気づきを保ちながら江ノ島へ向かう。 江ノ島を望むタワー状のビルも、同じ頃行ったことがある。 そのふもとのラーメン店は、10年ぐらい前に入った。 そのビルの屋上には、いくつかのテレビカメラらしきものが据え付けてある。 「これが江ノ島情報カメラか。あれがNHKであれが日テレで…」 などと考えだすが、すぐに意識を中心へ引き戻す。 とにかく中心に留まる。 主体から生きる。 この作業は遊びではないのだ。 目の内側の「I」を意識しながら、江ノ島桟橋を歩く。 意識すればするほど、歩みは遅くなる。 気づきが深まると、周囲の人との歩くスピードが違ってくる。 どんどん追い越されていく。 時の流れが違ってくる。 人々が、自分に気づかないまま、おしゃべりに夢中になりながら、足早に歩いていく。 私はそれを見ながら、「見ている者」に意識を向ける。 するとまた歩みが遅くなる。
自己意識の定着度を測る江ノ電沿線の旅 1 自分の意識の定着度を測るために、鎌倉から藤沢へ至る江ノ電沿線の小旅行に出た。 まずは生まれて初めて長谷の観音へ向かう。 深い理由はない。 何となく行ってみたかった。 鎌倉の江ノ電始発のホームに立つ。 当然、意識を目の内側に置く。 周りには電車到着を待つ人々の列。 その人々に目をやりながら、それを見ている内側の者に注意を向ける。 主体をキープする。 目の前でもたれ合うカップルを見ながら、 それを見る自分の目の内側の主体へ意識を向ける。 主体、主体、主体 意識、意識、意識 気づき、気づき、気づき 意識の中心に注意を置きながら、あらためて辺りを見回す。 見回している者に油断なく気づいている。 やがて電車が入って来た。 先頭車両に乗り込んだ私は、鉄道オタクのように操縦席の前に陣取る。 運転の機器を見渡す。 「あのペダルはなんだろう?」 運転手が席につき、レバーを引くと電車は動き出した。 「ペダルは関係ないのか。基本は手だけなのか。」 などと考え事に没頭する。 没頭していることにすぐに気づき、気づいた者に意識を向ける。 主体を保つ。 Me、I を意識する。 私。見ている私。 目の内側から見ている私。 I。Me。 気づき。 気づいている者。 気づきの中心。 目の内側の主体。 脳自身。 注意を中心へ引き戻す。 決して手離さない。 忘れない。 意識し続ける。 車両の走行音を聴いている者。 内側から景色を見ている者。 その存在と共に留まる。 決してさまよわない。 私は「私」をキープしたまま電車に乗り続ける。 正直、そこから長谷までの記憶はほとんどない。 「自己」に留意することで精いっぱいで、 周りの景色など見ている暇はないのだ。 本来は何か作業しながら、「自己」への気づきを保てればいいのだが、 私はまだせいぜい散歩しながら、自己想起を保つことしかできない。 人と話すと自己を忘れる。 食べ始めると自己を忘れる。 テレビを観ると自己を忘れる。 考え出すと自己を忘れる。 本を読むと自己を忘れる。 今も、自己を保ちながら文章が書けない。 書いては引き戻し、また書いては引き戻し(意識を)。 決してふた
「アジズとの対話」 を繰り返し読むこと 1回目は10% 2回目は20% 3回目は30% と理解が深まり、それとともに覚醒の度合いも増していきます ただし、読書の背景に真摯な自己想起があることが前提です 読書が自己想起を後押しし 自己想起が読書の理解を深めるのです こうして連動しながらスパイラルのように 意識の覚醒は高まっていきます 私は読み始めて3年になりますが 未だに新たな理解と発見の連続です また、一度理解したつもりの話でも 次に読む時にはまったく新しいものとして入ってくるのが特徴です
中心にとどまる 主体から生きる Me Me Me 意識 意識 意識 気づき 気づき 気づき 見ている者 聴いている者 気づいている者 中心 中心 中心 保つ 保つ 保つ 主体 主体 主体
困難なのは幸せの中にあって自己を想起することです 誰もいい夢が終わることなど望んでいないから 願わくばこの素敵な夢がいつまでも続きますように… としがみつくから 「苦悩を断念せよ」 秘教にそのような言葉があります 苦悩にすら蜜の味があるというのです ましてや幸福ならどうでしょう? どこに現在の幸福を自ら断ち切る者があるでしょうか しかし、幸福も苦悩も所詮は夢に過ぎないのです いい夢にまどろみ続けるのか 夢から覚めてリアルな現実の中にある、おだやかなくつろぎに憩うのか すべては各自の選択にゆだねられています
3年前、この修行を始めた時 「気づき」とは自分の思考に気づくこと 自分の呼吸に気づくこと また、自分の精神的、肉体的な反応に 気づいていることだと思っていました あれから3年が過ぎ、それなりの修行を経た結果 「気づき」はさらにその内側にあるとわかりました 「気づき」とは自分の思考に「気づいている者」に気づくこと 「自分の呼吸に気づいている者」に気づくこと 「自分の精神的、肉体的な反応に気づいている者」に気づくこと つまり、「気づき」に気づくこと 気づき自身 意識自身 主体自身 Me 自身 存在自身 脳自身 自己自身に気づいていること そしてそのまま中心にくつろぐのです 中心にとどまるのです 主体から生きるのです それは満たされています それはやすらいでいます 今、このディスプレイを「見ている者」に気づき それと共にとどまるのです