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自己想起は決して不可能ではありません。 限りなく無理に見えますが、努力が裏切ることはありません。 弾みがつくことはありませんが、やっただけの累積効果があり、 その分は少しずつ想起しやすくなっていきます。 おそらく、松果腺を活性化させているのです。 その作業が「自己想起」であり、目の内側の「自己」に 注意を向け続ける作業なのです。 人と話していても油断なく「自己」を意識している。 歩く時も、座るときも、食べる時も、待つ時も、 常に意識の中心に注意を向け続ける。 「主体・自己」自身を意識し続ける。 これのみが大事な作業です。
本当の自分(自己)は、目のうしろ、視床から松果腺のあたりに存在します。 ここから目を通して見ています。 今、この文字を見ている「者」に気づいてください。 目の内側から、目というレンズを通して文字を見ている 「意識」に注意を反転してください。 「気づき」自身に気づいてください。 通常、私たちは「自己」自身にまったく気づかぬまま、 外的状況に同一化して日々を過ごしています。 そして、ほとんどの人は、そのまま一生を終えて行きます。 最後に残るのは「自己」のみです。 自己想起を通して獲得した「自己」と「意識」が、 死後にも頼りになる唯一の砦です。 口座に富を蓄え、豪邸を建ててもあの世にはひとつも持っていけませんが、 「意識」は永遠です。 それこそが無限、永遠の富です。 やがては消えゆく、一過性の魅惑にとらわれず、 永遠に続く真実のやすらぎを手にしてください。 それが真の「幸福」であり、真の「勝利」なのです。 世の偽りの繁栄に迷わされずにいてください。
困難に耐え抜くと、脳の中心にやすらかな場所が待っています。 外的状況は何も変わらないのに、なぜかくつろいでいる不思議な安心があります。 悩みや不安、痛みは消失したわけではありません。 依然としてそこにはあるものの、以前のように気になりません。 それはそれとして、距離を置けるようになります。 そしてこちら側では「別のもの」が、くつろいで眺めているのです。 壁に打ち克ち、破壊する道ではなく、壁の横をすり抜ける道です。 敵を相手にせず、敵の線上から歩みを外してかわす方法です。 それが「自己想起」であり、対処療法ではない、根本的な解決の道です。
人間は一日中、自己以外のものに振り回されています。 周囲のできごと、人の言葉、指示に操られ、 それに対して発生する脳内の想念(マインド)に乗っ取られ、 身体の痛みやかゆみに気を取られ、 解決策を案じているうちに日が暮れて、 結局、何も変わらないまま一日を終えて行くのです。 その間、自己の主体は忘れ去られ、等閑にされ、 主体自身も外的状況に同一化して、己の存在は事実上なくなっています。 覚醒とは、忘れ去られている「自己」を取り戻すことです。 これには非常な忍耐と、努力、修練が必要です。 常に「自己」を想い起こし続けることは、 この世でも最も難しい、不可能に近い作業です。 しかし、これをやり遂げることが真のヒロイズムであり、 内部、外部の敵に打ち克ち続けることで、「自己」は取り戻されます。 この道に入ると、不思議なほど困難が立ち現れます。 人間関係を含めた外的環境は厳しくなり、 肉体的な苦痛は増します。 すべてが、あたかも「自己想起」を阻むかのように、 行く手に立ちはだかって来ます。 少し調子が出て「自己」に集中し始めると、 必ず誰かがやって来て話しかけたり、身体に痛みかゆみが発生したり、 外で騒音が起こるなど、とにかく邪魔が入ります。 しつこく想念が纏わりつくこともあります。 これらすべてをはねのけて、「自己」の中心へと向かうことは至難の業です。 ほとんどの人にとって、それはただ、不可能な作業です。 しかし、100%不可能ではないことが、この作業のポイントです。 たとえどんなに狭き門でも、駱駝が針の穴を通るほど難しくても、 1%でも可能性がある限り、トライする価値はあります。 あとはその人の信念、根気、意志、決意、実行あるのみです。