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3月, 2018の投稿を表示しています

今は両者の引っ張り合い、綱引きの状態だ

一夜明けて、強烈な眠りの揺り戻しがきた 自己想起がうまくいった場合、翌日はその分、 抗しがたい眠りがやってくるのが通例 今までならそのまま数日、数週間、数ヶ月と眠り続けていた だが今度ばかりは違う このままではいけないと感じた私は、夜にも関わらず 5時間に及ぶ「歩禅」に取り組んだ 「歩禅」とは読んで字のごとし、歩きながら行う禅だ 道をゆっくり歩きながら、目の内側の「主体」に注意を向け続ける 「自己」に対する気づきを保ち続ける 「i」を意識し続ける 長時間の格闘の後、どうにか昨日レベルの気づきを取り戻した しかし取り戻すまでの間、以前のイラつきがぶり返した 対象の相手に心の中で罵詈雑言を尽くした 理屈では私が正しい、しかし現実は正論など蹴散らして進行する この苦境を脱する道はただひとつ、自己を想い起こし、 ぐるぐる回りを繰り返す同じ思考とそれに基づくイラつきを 超然と超えることしかなかった i, i, i,… 私, 私, 私… Me, Me, Me,… 気を失いかけている人を呼び起こすように 私は自身に向かって呼びかけ続けた するとまばらに、ふと「すっ」と安らかな瞬間が訪れた 今までのイラつきから離れた、どうでもよくなった心境が表れた イラつきの最中には「どうして自分はこのような目に合うんだ」 と憤りの思いしかなかったが、安らぎの瞬間には、 「いや、こうした四面楚歌の状況だからこそ、自己想起へ追い立てられるのだ」 「彼らはそのために憎まれ役を演じてくれているのだ」と心から素直に思えた しかし、気を抜けばすぐにまたイラ立ちに戻る 今回はそれでも、安らぎの側へ戻せるインターバルが縮まった また、憤りながらも、どこかで醒めている自分がいる 今は両者の引っ張り合い、綱引きの状態だ 意識を取り戻すと、脳の中でミシミシと音がする また、脳の後ろへ引っ張られる感じがする 視床のあたりが引き延ばされる感覚がある あと、昨日初めて、コンビニのレジで、自己を保ったまま 軽く会話し、お釣りを受け取ることができた

今も内側に「私」を感じる

その後、食事を摂り、一旦意識が薄れる しかし、再び集中すると、比較的容易に「中心」を取り戻す 食欲はあるが性欲、睡眠欲はなし 今も内側に「私」を感じる

夢から覚めるためには「主体」の認識が必要です

主体と客体という二元性を超越する前に まずは主体をしっかりと認識する必要があります なぜなら、人々は自身の「主体」を完全に忘れ切っているからです 主体を忘れ「客体」である外部世界のできごとにこころ奪われ翻弄されています これを夢見の状態といいます 夢から覚めるためには「主体」の認識が必要です 「主体」への気づきを保ち、確実性を強化する必要があります

「気づき」自身に注意を払うことで「気づき(自己)」への気づき、すなわち「自己想起」が始まります

電車やバスでスマホにジッと見入っている人たちは その間、自分の姿勢や呼吸、座った椅子への感触に気づいていません 我を忘れてスマホの画面に没入しています そこに「自己」は存在しません まずは自分の現在の所作への気づきを取り戻し 気づきの「主体」を確立させます 次に「気づき」自身に注意を払うことで 「気づき(自己)」への気づき、すなわち「自己想起」が始まります 1. 外界のできごとへの気づき 2. 自身の肉体に纏わる現象(呼吸・思考・姿勢・感触など)への気づき 3. それらに気づいている「自己」自身への気づき 覚醒に至るのは「3.」の【第3の気づき】のみです

「意識」こそが「自己」であり、「主体」「I」「Me」「わたし」です

一般に、気づきと一括りに言う時、その対象は自分の動作、思考、感情、感触、呼吸、 といった自分の肉体に纏わる現象への気づきを指します 数息観は呼吸への気づき、マインドフルネスは所作への気づき しかしそれらは、覚醒へ至る「自己」への気づきではありません 自己想起の「自己」とは、外界のできごとと、肉体の現象に気づいている 「内側の意識」それ自身のことです 「気づき」の本体に気づくのが「自己想起」です これを明確に認識するのは大事です なぜなら多くの人が、自己想起を自分の肉体に纏わる現象への気づきと 勘違いしているからです 私は自己想起を知ってから20年以上、思考や呼吸に気づくことを 「自己想起」であると思い込んで来ました 「いつでも呼吸に気づいていなさい」と書いたステッカーを部屋の壁に貼り、 それを見ては自分の呼吸への気づきを取り戻していました しかしこれは「自己想起」の前段階に過ぎませんでした 私たちの注意は常に、自分の外部世界へとベクトルが向いています 敵から身を守る動物時代の名残です これは肉体に準拠します しかし、私たちの本体は肉体の内側に在る者です 外界のできごとと、肉体の現象の双方に気づいている「認識者」です これは純粋に「意識」としての存在です 私たちの主体は「意識」です この「意識」こそが「自己」であり、「主体」「I」「Me」「わたし」です そして「意識」を忘れずに想い起こし続けることが「自己想起」です 目を閉じた際に、こちら側からまぶたの裏の暗闇を見ている存在 外界の様々な音を聴いている存在 それ自身に気づき続けるのです 同じことの繰り返しになりますが、それのみです この作業を地道にこつこつとやり続けるのが「自己想起」です

自己想起には累積効果があり、努力は必ず成果をもたらします

自己想起のみがこの苦境から抜け出す唯一の手段です 考えても抜け出せない どこへ行っても逃げられない 解決策はなく四面楚歌、八方ふさがり しかしだからこそ、私たちは最後に残された唯一の抜け道、 自己想起へと何度でも立ち還らせられるのです 私が初めて自己想起を知ってから、すでに27年の時が経過しました 途中、20年近く、自己想起を完全に忘れ果てました いえ、あまりにしんどくて逃げたのです こんなことは無理だ、これで人生が終わってしまう と自分に言い訳を続けました しかし、心のどこかで、いや、答えは自己想起にしかないんだ このまま逃げ続けるのか?という思いが続いていました 今でも迷う瞬間はあります 本当にこれでいいのか?と疑念がわくこともあります 自己想起をしている最中はまともに仕事もできず ゆっくり歩くか、じっとしているかが関の山です しかしやらねばなりません なぜならそれだけが唯一の残された答えだからです 自己想起こそが失われたアーク、パンドラの箱、隠された地球の秘密なのです 今、この文章をお読みいただいているみなさんも 本当は心のどこかでわかっているはずです だからこそ、普段は気の進まないこのブログに 意を決して読みに来てくださっているのです あなたの目を通して見ている者が あなたの目の内側から見ている存在が あなたを動かし、必要な情報へと連れてきているのです スピリチュアルの書籍を見ても、驚くほどに自己想起には触れていません これほど根本的で大事な知識なのに、ほとんどが触れないのは不思議なばかりです なぜ自己想起は封印され続けるのでしょうか? 人類を救うたった一つの鍵は、いつまで秘密裏に隠され続けるのでしょうか? 意識の中心を保ち続けてください 揺るがずセンターに留まってください あなた自身とともに在ってください あなた自身であり続けてください 覚醒とはあなたがあなたに還ることです もっとも自然で普通の状態に戻ることです 今の人類は「自己」を忘れたまま周囲と自身の思考に操られる 夢遊病者の集まりです 夢から覚めなければなりません 愛も平和も感謝もやすらぎも、すべてはそこから始まり