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9月, 2016の投稿を表示しています
どんなに幸せな夢であっても 所詮それはただの夢に過ぎない それより目覚めたリアルな意識が必要だ それ以外に満たされる方法はない 目覚めた意識のみが、あなたに究極のくつろぎをもたらす
世間的な成功という幸せな夢の中にあって どうしてわざわざそれを壊すような「自己想起」に向かうだろう むしろ、「この夢よ、いつまでも続け」と惰眠をむさぼり続けるだろう あなたの人生に困難が続くのは あなたを目覚めさせるための目覚まし時計が必要だからだ ショックは罰として起きるのではない あくまであなたを目覚めさせるためだ
なぜあなたは世間的な意味での「成功」を手にしていないのか? それはあなたの魂がそのことを望んでいないからだ あなたの魂が求めるものはただひとつ 「自己」への帰還だ 「自己」とひとつになることだ 「自己」を取り戻すことだ ただでさえ考え事に忙しいマインドが さらに世間的な成功を手に入れ、それを守ることにやっきになり また新たな考え事をこしらえていては いつまでたっても意識が「自己自身」に向くことはないだろう だからあなたの魂は自身が「自己」へ向かうよう あえてシンプルな人生をプランしたのだ 「自己」への帰還に集中できる静かな環境を
まずは目を閉じてください 次に、座った椅子の感触 接地した足裏の感触 呼吸に気づいてください そして、目を閉じたまま、身の回りの生活音に意識を向けてください 扇風機、エアコン、テレビ、PCの動作音など、なんでも構いません 最後に、それらに気づいている頭の中の存在に気づいてください 「気づきそのもの」を意識してください それがほんとうの「あなた」です 続いてこちらの画像をご覧ください     しばらくだまって見つめてください         次に、この画像を見ている「あなた」に気づいてください   目の内側から目を通して見ている「あなた自身」にです     そしてその状態をキープしてください   この状態が「悟り」です       「見ている者」が覚醒した「ほんとうのあなた」です          
今、あなたはどこにいますか? 「どこって、ここに決まってるだろう」 "ここ"とは、どこですか? 「ここがどこって、、 ここはここだ」 では、"ここ"だと言っているのは誰ですか? 「ばかにしてるのか? 私に決まってるだろう」 "私"はどこに在りますか? "私"とは、あなたの肉体のことでしょうか? だとしたら、それはどの部分でしょうか? 手? 足? 腹? 胸?  「全部が私だ」 でも、たとえばあなたが自分の手を「これは私だ」と言う時、 "あなた"と"手"には一定の距離があります 手はあなたに見られているもの そしてあなたは、手を見ている者 客体と主体 どちらが本当の"あなた"でしょうか? 「主体だ」 では、主体はどこに在るのでしょうか? 手を見ていた者=主体は、どこに存在するのでしょうか? 手を認識する"意識"は、どこに在るのでしょうか? 意識は目を通して手を見ています すなわち、目の内側に在る者が、主体=意識=あなた です
同じように、今、このディスプレイを見ている時 見られている「客体」としてのディスプレイと 見ている「主体」としての自己がある 「自己」は目の内側に在る 目の内側から目を通して「客体」を見ている 「見ている者」が主体 「見ている者」が意識 これに意識を向ける 「主体」に気づき続ける
たとえば、今、部屋で稼働しているエアコンの音に注意を向ける この時、「エアコンの音」と、それに「気づいている者(意識)」の2組が存在する 外界の現象という「客体(対象)」と、それを意識している「主体」だ 「第3の気づき」では、「主体」に意識を向ける 「気づいている者"自身"」に気づきを置く 気づきそのものに気づく 意識そのものを意識する そしてこの状態をキープする 一日のすべてがこの状態であるまで定着させる すると覚醒が起きる これを一般的に「悟り」という
昨夜、あるバラエティ番組で面白いことが起こった 出演者の女性タレントがインナーマッスルを鍛えるためには 常に正しい姿勢を心がけることが大切だと提案 MCやその他のタレントたちは椅子の端に腰を掛け 背筋を伸ばす姿勢を保ち始めた するとどうだろう いつも 当意即妙なコメントを入れる人気タレントが まったくおとなしく黙ってしまったのである どうやら自分の姿勢に意識を向けるあまり コメントが浮かばなくなってしまったらしい これは「気づき」がマインドを鎮静化させたことによるものだ 彼は自分の姿勢を意識するという「第2の気づき」の状態にあった 「第2の気づき」とは呼吸、思考、感触など 自分の肉体にまつわる事柄に意識を向けた状態のことだ 姿勢への気づきもまさにそのひとつと言えよう 願わくば「姿勢への気づき」を、姿勢に気づいている者 「自身」への 気づきへスライドしてもらえたなら 更に深い気づきの状態に入ったことだろう だが彼は少なくともある瞬間、自分への気づきにより マインドが停止する感覚を味わったはずだ 「街は今 眠りの中 あの鐘を鳴らすのはあなた」 「人は皆 悩みの中 あの鐘を鳴らすのはあなた」 「気づき」によって希望の鐘を鳴らすのは「あなた」だ あなたの瞬々刻々の「想起」が、あなた自身の内に光を灯す 「眠り」を砕く意識の目覚めが、マインドから発する「悩み」を滅する
「眉間に意識を置く」 どうしても自己想起が難しい時がある 試みてもどうしても集中できない時がある そういう時はとりあえず眉間に意識を置く 眉間に意識を集中させる そしてその状態で生活を送る 眉間は「自己」ではない 従って眉間への注意は「呼吸」への注意、「思考」への注意 足裏の設置した感触など、肉体感覚への注意と変わらない だが眉間という場所が特別なだけに 眉間への留意は自己想起へつながる大きなステップになる 古来、眉間には「第3の目」があるといって重要視されてきた たしかに眉間はその内側の自己へと通じている だから、眉間への留意を保つことは、その先の自己想起への準備になる 食事をしながら眉間を意識する 歩きながら眉間に意識を置く 人と話しながら眉間に意識を集中する そして余裕があれば、その注意を内側の意識そのものへと移行させる 眉間に注意を置いている「者自身」に注意を向ける 「自己自身」への気づきを保つ 「主体自身」への留意を絶やさない 眉間は外界と意識の橋渡しになる ここを支点に意識を深めていく 常に眉間に「気づき」の灯火を保ち続けていく