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みなさん、自分に気づいていますか? "自分"では漠然としていますね。 ここでは"脳自身"とさせていただきます 脳自身... すなわち、自己、意識、主体、Me、意識の中心は 目の内側、思考の内側、呼吸の内側にあります そこは何者にも侵されることのない絶対の安全領域 あらゆる外部世界とは一切無縁の避難所です まずはここに立脚すること 一日はここにしっかりと意識を定めることから始まります 主体への気づき 意識の中心を定める
愛とは手離すことなのです 執着は自我から生まれます 無執着は確立した自己から生まれます まず自己があり、そのあとに無執着があるのです ですから手離すために気づく必要があります まず目を覚ますことから始まるのです
ひたすら保つこと 保つこと 保つこと 保つこと それのみです
その存在はあまりに近いため それ自身を認識することができません 意識の焦点は常に外側へ向き 内側へ反転することはまずありません 内側へ向けるには意志と決意が求められ 非情なまでの努力が必要とされます これが"自己"を生み出す作業です 目からものを見るのではなく 目の内側からものを見るのです 内側の存在が目というレンズを通して外側を見ます 外側を見ながら同時に内側の"自己"に気づいています 自己、主体、意識、気づき、中心、Me、プレゼンス、脳自身 その時、思考は止み 別のものが静かに現れ始めるのです
今、このディスプレイを見ている"自分"に気づくこと そしてその状態をKeepすること この場を去ったあとも、意識の中心へ留意した状態を保つ 立ち上がり、歩き、服を着て、出かけて、歩き、 人と会い、仕事をし、あるいはショッピングをし、 何かをして帰って来るまで"気づき"を保ち続ける これほど疲れる作業はなく、これほど意義のある作業はありません 状況がどう変われど、なすべきことはただひとつ 自己を想起し続けることです

自己想起から逃げない

自己想起があまりに厳しくしんどいため つい言い訳を作ってそこから逃げてしまいます。 私もそうでした。 それは20数年も続きました。 祈りや瞑想やあらゆる修養法を試み 一時的に悟ったような気分になっても すぐにまた普通の自分に戻りました。 20数年逃げ続けた結果、 やはり自己想起以外にさとりへの道を開くものはない と確信しました。 仕事に逃げたこともあります。 自分は音楽に携わってきたため 音楽で人を幸せにするのが使命だと思い込んでいました。 けれど神はそれを許しませんでした。 そして人生のあらゆる道を塞ぎ 逃げ場を失くし 自己を想起する以外どうしようもない という状況に追いこまれました。 しかしこれも自分が用意したことでしょう。 もう逃げません 逃げても無駄なのです。 ただ自己に気づき続けるのみ 目の内側の主体を保ち続けるのみ 自己想起は人類共通の責任なのです。

引き戻す

何度でも引き戻す 失っては引き戻す 忘れては引き戻す 脳の中心へ 意識の中心へ 自分自身が在るところへ それは主体 気づき 意識 自己 本質 気づきを何度でも繰り返す 自分自身を取り戻す そしてそれを逃さない