思考は言葉を伴うものばかりではなく、
言葉のないイメージ、音、音楽なども意味します
人間の頭の中には始終何らかの雑音が鳴っていて、
静寂無音であることがありません
マインドに無思考はなく、壊れたラジオのようにノイズを発し続けています
人はそのノイズにいちいち同調し、とりとめのない思考に没頭しています
この状態に気づくことが第一歩
自分の日頃の状態が異常だと認識することが始まりです
一日中考えていることが正常ではなく、何らかのバグであると知ったなら、
あとはそのバグから抜け出すことをめざすべきです
バグを直そうと試みるのは無駄で、ただ放置するほかありません
一方、バグのあるマインドとは別に、超然と佇む完全な意識があります
それが「自己」「私」「I」「認識者」「主体」「Me」「知覚者」です
あらゆる修行はこれらの呼び名をもつ「自己自身」との合一をめざします
しかし実際は最初から「私」は「私」なので、あとはそれを思い出す、
取り戻すと表現した方が正しいです
人間は本来完全な存在としての「意識体」ですが、
肉体に宿り社会生活に埋没するうちに、それをすっかり忘れ果ててしまいます
自分は取るに足らない小さな存在に過ぎないと誤認してしまうのです
「仏は内に在る」というより、人間自体が本来「仏」なのです
「仏」からの声は「良心」、やむにやまれぬ内からの「衝動」として表れます
また、マインドが静まり、本心の声を遮るものがなくなった時、
その呼び声はこちらに届きやすくなります
そしてマインドを静め、内なる本心とつながる強力な手段が自己想起なのです
言葉のないイメージ、音、音楽なども意味します
人間の頭の中には始終何らかの雑音が鳴っていて、
静寂無音であることがありません
マインドに無思考はなく、壊れたラジオのようにノイズを発し続けています
人はそのノイズにいちいち同調し、とりとめのない思考に没頭しています
この状態に気づくことが第一歩
自分の日頃の状態が異常だと認識することが始まりです
一日中考えていることが正常ではなく、何らかのバグであると知ったなら、
あとはそのバグから抜け出すことをめざすべきです
バグを直そうと試みるのは無駄で、ただ放置するほかありません
一方、バグのあるマインドとは別に、超然と佇む完全な意識があります
それが「自己」「私」「I」「認識者」「主体」「Me」「知覚者」です
あらゆる修行はこれらの呼び名をもつ「自己自身」との合一をめざします
しかし実際は最初から「私」は「私」なので、あとはそれを思い出す、
取り戻すと表現した方が正しいです
人間は本来完全な存在としての「意識体」ですが、
肉体に宿り社会生活に埋没するうちに、それをすっかり忘れ果ててしまいます
自分は取るに足らない小さな存在に過ぎないと誤認してしまうのです
「仏は内に在る」というより、人間自体が本来「仏」なのです
「仏」からの声は「良心」、やむにやまれぬ内からの「衝動」として表れます
また、マインドが静まり、本心の声を遮るものがなくなった時、
その呼び声はこちらに届きやすくなります
そしてマインドを静め、内なる本心とつながる強力な手段が自己想起なのです