覚醒へのカウントダウンが始まりました。
私はこの数ヶ月、グルジェフの言う"自己想起"に集中してきました。
自己想起とは字のごとく、自己に気づき、想いだす作業です。
具体的に言うとこういうことです。
はい、今、この画面を見ている"あなた自身"に気づいてください。
椅子に座り画面の字を追う"あなた自身"にです。
どんな姿勢でしたか?
猫背で画面に見入っていませんでしたか?
キーボードに置いた手の感覚、床についた足の裏の感覚、
座った椅子の感触を思い出してください。
目の内側からディスプレイを見る"主体"を意識してください。
それは呼吸の内側にいます。
目の内側にいます。
思考、頭のおしゃべりの内側にいます。
頭のうしろ、後頭部、脳の中心、脳自身にいます。
この"主体"に気づき続けるのです。
"主体=自己"に留意し続けるのです。
意識の中心、自己意識の中心から生きます。
そこから外部を眺め、体験します。
外界のできごと、自分の思考、呼吸ですら、
"自己意識=主体"の外側になります。
真の自己、真我、主体、意識はすべての中心に位置します。
芯の芯、核の核、これ以上内部には進めない脳のセンター。
松果体と呼ばれる脳の中心の器官に位置します。
その器官がアクセレーターなのです。
私たちの実態は目に見えない"意識"です。
この"意識"と肉体をつなぐ器官、それが松果体なのです。
松果体が活性化することで、私たちは"意識=主体=自己"との
つながりを取り戻します。
松果体を活性化させるには、それに留意すること、
注意を向け続けることが必要です。
すなわち脳の中心に気づいていること、意識を置いていることです。
これを平たく言うと、"自己想起=自分自身に気づく"ということになります。
自分に気づいた状態が四六時中定着することを"覚醒=悟り"といいます。
これは意識の視点が"自我=エゴ"から、その内側の"自己=主体へと"
スライドし、その状態が常に保たれていることです。
"自我=エゴ"からではなく、"自己=主体"から生きるのです。
私はこの作業を2年前から続けてきました。
一日に数時間は道に出て、ゆっくり歩きながら自己に留意し続けました。
座っては目を閉じ、自己意識の中心へ注意を引き戻しました。
横になっては目を閉じ、"自己=主体"へと注意を起き続けました。
結果、現在は任意で自己に留意することができるようになりました。
まだまだ忘れっぽいものの、以前のようにたやすく想念に
巻き込まれるということはなくなりました。
想念との距離が生まれました。
しかし、完全な覚醒=意識の定着とは言えません。
一日のうちの半分は、無意識に眠った状態です。
そして時折思い出しては、自己留意を始めるという状態です。
私はこの数ヶ月、グルジェフの言う"自己想起"に集中してきました。
自己想起とは字のごとく、自己に気づき、想いだす作業です。
具体的に言うとこういうことです。
はい、今、この画面を見ている"あなた自身"に気づいてください。
椅子に座り画面の字を追う"あなた自身"にです。
どんな姿勢でしたか?
猫背で画面に見入っていませんでしたか?
キーボードに置いた手の感覚、床についた足の裏の感覚、
座った椅子の感触を思い出してください。
目の内側からディスプレイを見る"主体"を意識してください。
それは呼吸の内側にいます。
目の内側にいます。
思考、頭のおしゃべりの内側にいます。
頭のうしろ、後頭部、脳の中心、脳自身にいます。
この"主体"に気づき続けるのです。
"主体=自己"に留意し続けるのです。
意識の中心、自己意識の中心から生きます。
そこから外部を眺め、体験します。
外界のできごと、自分の思考、呼吸ですら、
"自己意識=主体"の外側になります。
真の自己、真我、主体、意識はすべての中心に位置します。
芯の芯、核の核、これ以上内部には進めない脳のセンター。
松果体と呼ばれる脳の中心の器官に位置します。
その器官がアクセレーターなのです。
私たちの実態は目に見えない"意識"です。
この"意識"と肉体をつなぐ器官、それが松果体なのです。
松果体が活性化することで、私たちは"意識=主体=自己"との
つながりを取り戻します。
松果体を活性化させるには、それに留意すること、
注意を向け続けることが必要です。
すなわち脳の中心に気づいていること、意識を置いていることです。
これを平たく言うと、"自己想起=自分自身に気づく"ということになります。
自分に気づいた状態が四六時中定着することを"覚醒=悟り"といいます。
これは意識の視点が"自我=エゴ"から、その内側の"自己=主体へと"
スライドし、その状態が常に保たれていることです。
"自我=エゴ"からではなく、"自己=主体"から生きるのです。
私はこの作業を2年前から続けてきました。
一日に数時間は道に出て、ゆっくり歩きながら自己に留意し続けました。
座っては目を閉じ、自己意識の中心へ注意を引き戻しました。
横になっては目を閉じ、"自己=主体"へと注意を起き続けました。
結果、現在は任意で自己に留意することができるようになりました。
まだまだ忘れっぽいものの、以前のようにたやすく想念に
巻き込まれるということはなくなりました。
想念との距離が生まれました。
しかし、完全な覚醒=意識の定着とは言えません。
一日のうちの半分は、無意識に眠った状態です。
そして時折思い出しては、自己留意を始めるという状態です。