人生に起こるよろこび、哀しみなどの様々なドラマは、
映画館のスクリーンに映し出される映画のようなものです。
人は投影物に過ぎない映像の中のできごとにのめり込み、
同一化して一喜一憂します。
しかし、それがどんなにリアルであっても、
所詮は作り物のドラマ、平面の映像に過ぎません。
人間は次々とスクリーンに映写される映画を際限なく観続け、
一考に映画館を出ようとはしません。
スクリーンの映像にうっとりとして、
それを「観ている者」には気づこうとしません。
映画館にいる限りは、ドラマは永遠に終わることがありません。
こうして人間は作品ごとに、つかの間の幸福としつこい悪夢を行き来します。
「自己想起」とは映画館から出る作業です。
投影物を楽しむのを切り上げ、鑑賞者自身の生に戻ることです。
人間は不思議なもので、お金を払っても悲劇を見て楽しもうとします。
「苦悩は蜜の味」「苦悩を断念せよ」とは秘教の言葉。
魅力的な上映作品をあきらめて、映画館を出る決心が必要です。
それには時には観るのが耐えがたいほどの辛いドラマも必要かもしれません。
人生に起こる艱難とは罰ではなく、眠った者を揺さぶり起こす
目覚まし時計のようなものなのです。
目覚まし時計のようなものなのです。