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掘り進むための唯一の道具は自己想起です

イスラム教の信者の方々は一日に数度の時間を設け、 たとえ仕事の最中であっても中断して、神に祈りを捧げています あのように一日に何度かは、自己自身に注意を向ける時間がほしいものです しかし、忙しい多くの人々にとって、それは難しいことかもしれません

悪夢を上映する映画館から一刻も早く退出することです

ここにいらしているみなさんは、答えを探している方々だと思います 答えはあなた自身です 目の内側からこの文字を見ているあなた自身です あなたがあなた自身を取り戻す時、すべての問題は解決します 最初から問題など何もなかったのだと気づきます

ステイホームの現在は「気づき」の習慣を確立させる絶好の期間です

マインドフルネスでは「自分に対する気づき」が基本になっています。 自分の呼吸、動作、思考、感情、感覚、感触といったものに目を向けることで、それらの自分にまつわる現象から距離を置き、客観視するためです。 この作業は「自己想起」の前段階として有用です。 人間は通常、こうした自分にまつわる現象に気づいておらず、動作の癖にも気づいていません。今、自分が考えていることにも気づいておらず、周囲の出来事および、肉体に起こる痛み、痒み、不快感などに同一化し、埋没しています。 これは海に溺れて泳ぐことも、何かにつかまることもできず、ただあっぷあっぷしている状態です。

希望はあります

 荒野を彷徨い、あらゆる行法を尽くし、それでも魂の飢えが満たされなかった方へ 答えはここにあります。あなた自身がその答えです そこにたどり着くのは決して安易な道ではありません 何度もつまづき、挫折し、時には忘れ果て、あきらめるでしょう

そのためには常に見張り続けなければなりません

まずはこの画像をよくご覧ください。 美しい地球の彼方から太陽が昇ろうとしています。 次にこの写真を見ている者に気づいてください。 目というレンズを通して見ているあなた自身にです。 その存在は目の内側にいます。

再び自己の中心へと注意を向け直します

禅寺の禅僧は目を閉じ壁に向かい座り、何をしているのでしょうか? 雑念を払い、無念無想の境地をめざしているのでしょうか? 想念と闘い、それに打ち克とうと挑んでいるのでしょうか? 違います。

あなた自身が、あなたの行く道を正してくれます

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6 「主」を「主体」に、「認めよ」を「認識せよ」に置き換えてみてください。 「主体」とは、今この文字を目を通して見ているあなた自身です。 文字が「客体」、あなたが「主体」。

まずはマインドフルネスのクセをつけて、そこから自己想起に進むのも いいかもしれません

先日、ブックオフでマインドフルネスに関する著書数冊に目を通しました マインドフルネスでは日常の機械的な自動操縦状態を離れ、 自分の呼吸や思考、体の所作や感触などに意識的になることが強調されていました 呼吸を数える数息観はその代表的なメソッドのひとつでした

罵詈雑言を書いているのは本当のあなたではありません

たとえば電車の吊り革を持って立っている時、 ただ漫然と車窓の景色を眺めるのではなく むしろ景色を見ている者に注意を向けます あるいはスマホを手に眺めているなら 時折りそれを下に置き、目を上げ意識を自己の中心に戻します

そして言葉がいらなくなったら、ただその空間に存在します

意識を失いかけた人に連呼して呼び起こすように 自己に呼びかけ続けるのは自己想起の基本です 私、私、私… 主体、主体、主体… 自己、自己、自己… I、I、I… Me、Me、Me… 意識、意識、意識…