先日、ブックオフでマインドフルネスに関する著書数冊に目を通しました
マインドフルネスでは日常の機械的な自動操縦状態を離れ、
自分の呼吸や思考、体の所作や感触などに意識的になることが強調されていました
呼吸を数える数息観はその代表的なメソッドのひとつでした
人間が日頃、無意識で自動操縦的に行動していることは、
一度は厳しく自身を見つめた経験がなければわかりません
マインドフルネスでは気づきの対象が自身の肉体に纏わる事柄に留まっています
それでもまったくの無意識状態に比べれば天と地の開きがあります
一般に「自己想起」はほとんどが、こうした自身の肉体に纏わる事柄への気づきと
誤解されていると思います
私は20年間、それが自己想起だと思い込んでいました
歯磨きの際に歯を磨いている自分の動作を意識する
洗面所に立つ自分の足裏の感触を意識する
今自分が歯を磨いているという事実に全的に気づいている
こうしたことを日常の行為のすべてに持ち込んでいました
しかしそれでは何も変わりませんでした
そして20年が過ぎ、ようやくと自己想起の本当の意味を知りました
自己想起では肉体の所作に気づいている認識者それ自身に気づくことが必要です
今このディスプレイを見ている事実を意識したら、
今度は見ている者自身に注意を反転させます
目の内側から目というレンズを通して見ている者、それ自身に気づきます
そしてそれをキープし定着させます
マインドフルネスの著者は、はっと我に返る瞬間を逃さずに、
そのまま自分への気づきを保つように説いています
また、我に返る瞬間は意図的に作り出すものとも言っています
たしかにその通りで、自己への気づきは向こうから勝手にはやって来ません
瞬々刻々、意図的に決意をもって能動的に起こすしかありません
しかしそれ自体を忘れているので、中々自身を思い出すことがありません
そこで、例えば部屋の壁やスマホ画面などに、自分が自己想起を思い出す
キーワードなどを表示して、それを見るごとに自己への気づきを思い出す
という方法もあります
これはマインドフルネスの著者も勧めていました
自己想起から見ればマインドフルネスはまだその前段階なものの、
自動操縦の日常に比べれば大転換と言えるものです
まずはマインドフルネスのクセをつけて、そこから自己想起に進むのも
いいかもしれません
もちろんダイレクトに自己を意識できる方にはその必要もありません。
マインドフルネスでは日常の機械的な自動操縦状態を離れ、
自分の呼吸や思考、体の所作や感触などに意識的になることが強調されていました
呼吸を数える数息観はその代表的なメソッドのひとつでした
人間が日頃、無意識で自動操縦的に行動していることは、
一度は厳しく自身を見つめた経験がなければわかりません
マインドフルネスでは気づきの対象が自身の肉体に纏わる事柄に留まっています
それでもまったくの無意識状態に比べれば天と地の開きがあります
一般に「自己想起」はほとんどが、こうした自身の肉体に纏わる事柄への気づきと
誤解されていると思います
私は20年間、それが自己想起だと思い込んでいました
歯磨きの際に歯を磨いている自分の動作を意識する
洗面所に立つ自分の足裏の感触を意識する
今自分が歯を磨いているという事実に全的に気づいている
こうしたことを日常の行為のすべてに持ち込んでいました
しかしそれでは何も変わりませんでした
そして20年が過ぎ、ようやくと自己想起の本当の意味を知りました
自己想起では肉体の所作に気づいている認識者それ自身に気づくことが必要です
今このディスプレイを見ている事実を意識したら、
今度は見ている者自身に注意を反転させます
目の内側から目というレンズを通して見ている者、それ自身に気づきます
そしてそれをキープし定着させます
マインドフルネスの著者は、はっと我に返る瞬間を逃さずに、
そのまま自分への気づきを保つように説いています
また、我に返る瞬間は意図的に作り出すものとも言っています
たしかにその通りで、自己への気づきは向こうから勝手にはやって来ません
瞬々刻々、意図的に決意をもって能動的に起こすしかありません
しかしそれ自体を忘れているので、中々自身を思い出すことがありません
そこで、例えば部屋の壁やスマホ画面などに、自分が自己想起を思い出す
キーワードなどを表示して、それを見るごとに自己への気づきを思い出す
という方法もあります
これはマインドフルネスの著者も勧めていました
自己想起から見ればマインドフルネスはまだその前段階なものの、
自動操縦の日常に比べれば大転換と言えるものです
まずはマインドフルネスのクセをつけて、そこから自己想起に進むのも
いいかもしれません
もちろんダイレクトに自己を意識できる方にはその必要もありません。