一般に、気づきと一括りに言う時、その対象は自分の動作、思考、感情、感触、呼吸、
といった自分の肉体に纏わる現象への気づきを指します
数息観は呼吸への気づき、マインドフルネスは所作への気づき
しかしそれらは、覚醒へ至る「自己」への気づきではありません
自己想起の「自己」とは、外界のできごとと、肉体の現象に気づいている
「内側の意識」それ自身のことです
「気づき」の本体に気づくのが「自己想起」です
これを明確に認識するのは大事です
なぜなら多くの人が、自己想起を自分の肉体に纏わる現象への気づきと
勘違いしているからです
私は自己想起を知ってから20年以上、思考や呼吸に気づくことを
「自己想起」であると思い込んで来ました
「いつでも呼吸に気づいていなさい」と書いたステッカーを部屋の壁に貼り、
それを見ては自分の呼吸への気づきを取り戻していました
しかしこれは「自己想起」の前段階に過ぎませんでした
私たちの注意は常に、自分の外部世界へとベクトルが向いています
敵から身を守る動物時代の名残です
これは肉体に準拠します
しかし、私たちの本体は肉体の内側に在る者です
外界のできごとと、肉体の現象の双方に気づいている「認識者」です
これは純粋に「意識」としての存在です
私たちの主体は「意識」です
この「意識」こそが「自己」であり、「主体」「I」「Me」「わたし」です
そして「意識」を忘れずに想い起こし続けることが「自己想起」です
目を閉じた際に、こちら側からまぶたの裏の暗闇を見ている存在
外界の様々な音を聴いている存在
それ自身に気づき続けるのです
同じことの繰り返しになりますが、それのみです
この作業を地道にこつこつとやり続けるのが「自己想起」です