私が初めて「自己想起」の概念を知ったのは1991年3月のことでした
P.D.ウスペンスキーの「人間に可能な進化の心理学」を通してです
その後、同じ年に出版された山口令子氏の「自己変革の原理と方法」に記された
「自観法」の説明により、「自己想起」を具体的に体感しました
しかし、私は「自己想起」を今の自分の動作や行為、思考や感情に
気づいている作業だと思い込んでしまいました
そしてその状態が20年以上続きました
私は時折り、今の自分の行為に気づいては「よし自己想起できた」と満足していました
それですらできたのはごく稀にでした
しかしそれは「自己想起」ではないと気づかせてくれたのがアナディ(アジズ)でした
自分の行為や思考に気づいている「気づき」「意識」「主体」「私」「Me」
それ自身への気づきこそが「自己想起」だったのです
例えば私は今、このディスプレイを見ています
以前は「ディスプレイを見ている」という行為への気づきを
「自己想起」だと思っていました
しかし「自己想起」はそこから一歩進めて、行為に気づいている
「意識」への気づきだったのです
今、この文字を目を通して見ている「自己」自身への注意です
目の内側から見ている「主体」に注意の向きを反転させるのです
そしてその状態を、起きている間、常にキープしなければなりません
それが常なる状態に定着することが「覚醒」「悟り」です