ある書店で手にした自己啓発書には、
成功するビジネスマンの条件として「マインドフルネス」について書かれていた
・自分の呼吸にラベルを貼って「1,2,3 ・・・」と数える(数息観)
・接地した足の感触を意識する
・手がものに触れた感触を意識する
といった手法が示されていた。
また、コンビニで手にしたある僧侶の著書では、
自分の思考を客観視することが勧められていた。
客観視できるということは、思考と同一化していないことになる
従って、思考から生じる苦悩からも距離をとれる
ということだった。
しかし、「覚醒」につながるメソッド(自己想起 - Self Remembering)では、
むしろ「意識している者」、「観察している者」それ自身への注意を促す
「Self」とは「主体」のことだ
「主体」が「主体自身」に気づくこと
それが「Self Remembering」だ
「覚醒」や「悟り」のために様々なワークやメソッドが説かれている
私もあらん限りの手法を試した
その中で唯一手応えを感じたのが「自己想起」だった
今から25年前、初めて「自己想起」の概念に触れ、それを理解した時
「覚醒」にはこれしかないとすぐに直感した
そして1年間は仕事もやめ、人間関係も断ち、
ただひたすら「自己想起」にすべてを費やした
しかし、そのあまりの難しさにいつしか他の道へ逃げてしまった
それから15年後、再び「自己想起」に立ち返り、
(ある作業中にふいに「やはり自己想起しかないんだ」という思いが込み上げた)
生活の中心に「自己想起」を据えた
だがまたも、仕事や日々の暮らしに埋没してしまった
そして8年が過ぎ、三度、「自己想起」の道へ突入した
そこから3年が過ぎた...
もう絶対に逃せない
家族と暮らし、仕事をこなし、同居人の面倒を見ながらも
「自己」を想起し続けなければならない
とても難しい
できればインドにでも行って、それのみに専念したい
だがそれはゆるされない
しかし、これから同じ道を歩むであろう多くの人たちにとっては、
インドへ悟りのための出家旅行へ向かうよりも
ごく当たり前の暮らしの中で「覚醒」を得てこそ参考になるだろう
家族も仕事も義務も放棄して、「覚醒」だけに捧げるなど無理だ
しかし負けない
今度ばかりは引き下がるわけにはいかない
これこそが今生の大勝負なのだ
「答え」がわかっているのに、そこから逃げることはゆるされないのだ
成功するビジネスマンの条件として「マインドフルネス」について書かれていた
・自分の呼吸にラベルを貼って「1,2,3 ・・・」と数える(数息観)
・接地した足の感触を意識する
・手がものに触れた感触を意識する
といった手法が示されていた。
また、コンビニで手にしたある僧侶の著書では、
自分の思考を客観視することが勧められていた。
客観視できるということは、思考と同一化していないことになる
従って、思考から生じる苦悩からも距離をとれる
ということだった。
しかし、「覚醒」につながるメソッド(自己想起 - Self Remembering)では、
むしろ「意識している者」、「観察している者」それ自身への注意を促す
「Self」とは「主体」のことだ
「主体」が「主体自身」に気づくこと
それが「Self Remembering」だ
「覚醒」や「悟り」のために様々なワークやメソッドが説かれている
私もあらん限りの手法を試した
その中で唯一手応えを感じたのが「自己想起」だった
今から25年前、初めて「自己想起」の概念に触れ、それを理解した時
「覚醒」にはこれしかないとすぐに直感した
そして1年間は仕事もやめ、人間関係も断ち、
ただひたすら「自己想起」にすべてを費やした
しかし、そのあまりの難しさにいつしか他の道へ逃げてしまった
それから15年後、再び「自己想起」に立ち返り、
(ある作業中にふいに「やはり自己想起しかないんだ」という思いが込み上げた)
生活の中心に「自己想起」を据えた
だがまたも、仕事や日々の暮らしに埋没してしまった
そして8年が過ぎ、三度、「自己想起」の道へ突入した
そこから3年が過ぎた...
もう絶対に逃せない
家族と暮らし、仕事をこなし、同居人の面倒を見ながらも
「自己」を想起し続けなければならない
とても難しい
できればインドにでも行って、それのみに専念したい
だがそれはゆるされない
しかし、これから同じ道を歩むであろう多くの人たちにとっては、
インドへ悟りのための出家旅行へ向かうよりも
ごく当たり前の暮らしの中で「覚醒」を得てこそ参考になるだろう
家族も仕事も義務も放棄して、「覚醒」だけに捧げるなど無理だ
しかし負けない
今度ばかりは引き下がるわけにはいかない
これこそが今生の大勝負なのだ
「答え」がわかっているのに、そこから逃げることはゆるされないのだ