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3月, 2019の投稿を表示しています

代わって現れるのは理由のない不思議なやすらぎです

困難に巻き込まれ焦燥感に見舞われた時、 自分は今眠りと過剰なマインドの動きの最中にいると認識することは、 その背後に在る主体への気づきの最初のステップになります。

何度でも何度でも何度でも意識を引き戻し、「自己」と共にただ「在る」

まずは想起すべき「自己」が何なのかをしっかり把握するべきです。 人の「自己」「自分」に対する認識は漠然としています。 ほとんどは自分の身体とそれに関係した事象をもって「自己」としています。 肉体を「自己」と捉えています。 しかしそれは「自己」が宿る物体であり、やがては消滅するものです。

自己凝視(自己観察)するには、まず前段階として一定量の「自己想起」が必要

私が初めて「自己想起」の概念に出会ったのは、当時の新刊として平積みされたP.D.ウスペンスキー著「人間に可能な進化の心理学」を手に取ったことからでした。 これをきっかけにグルジェフにつながり、当時出版されていた自己想起に関する書籍は入手できる限り目を通しました。 自己想起を理解するに従い、それまで本当には意味がわからなかったクリシュナムルティの書籍も、何が伝えたいのかがわかるようになりました。

思考に気づいたら、次に「気づいた者」に意識を向けよ

私は実に長い間、自己想起について思い違いをしていました。 自己想起の「自己」とは、自分の肉体の所作や感触、また呼吸や脳裏を駆け巡る想念のことだと思い込んでいました。 例えば歯磨きの最中に、「自分が歯を磨いていることを意識する」のが自己への気づき、すなわち「自己想起」だと思っていました。
幸福の絶頂に自己を想起することほど辛いものはありません いい夢はいつまでも見続けたいものだからです しかし夢を断ち切り、現実に立ち還らなければなりません 夢は所詮、夢に過ぎません あるがままの現実を受けとめ そこから歩み始めなければなりません

オリンピックで金をめざすアスリートのように 孤独で内的な闘いが必要です

自己想起が向こうから自然にやって来ることはありません 自己想起は眠りという人間の自然な状態に逆らい 意志と決意と実行をもって築き上げる地道な作業です オリンピックで金をめざすアスリートのように 孤独で内的な闘いが必要です

日常生活では当然ながら様々になすべきことがあります

「注意の分割」という手法があります。 今、自分が関わっている外界の事象と、 それを見ている「自己」自身の双方向に注意を分ける方法です。  日常生活では当然ながら様々になすべきことがあります。  座って目を閉じ、「自己」にばかり集中してはいられません。 そこでどうしても、注意を分割する必要があるのです。

毎日はどれだけ「自己」を取り戻せたかにかかっています

今あなたは花を見ています 次に見つめる焦点を画面の花から「見ている者」に移してください 目を通して見ている「あなた自身」にです それは目の内側、意識の中心に存在しています 思考から生きるのをやめ その内側からじっと見ている「あなた自身」に立ち還ってください 意識の焦点を外界や思考から「あなた自身」に引き戻してください これは瞬々刻々の闘いです 毎日はどれだけ「自己」を取り戻せたかにかかっています