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7月, 2015の投稿を表示しています

自己想起から逃げない

自己想起があまりに厳しくしんどいため つい言い訳を作ってそこから逃げてしまいます。 私もそうでした。 それは20数年も続きました。 祈りや瞑想やあらゆる修養法を試み 一時的に悟ったような気分になっても すぐにまた普通の自分に戻りました。 20数年逃げ続けた結果、 やはり自己想起以外にさとりへの道を開くものはない と確信しました。 仕事に逃げたこともあります。 自分は音楽に携わってきたため 音楽で人を幸せにするのが使命だと思い込んでいました。 けれど神はそれを許しませんでした。 そして人生のあらゆる道を塞ぎ 逃げ場を失くし 自己を想起する以外どうしようもない という状況に追いこまれました。 しかしこれも自分が用意したことでしょう。 もう逃げません 逃げても無駄なのです。 ただ自己に気づき続けるのみ 目の内側の主体を保ち続けるのみ 自己想起は人類共通の責任なのです。

引き戻す

何度でも引き戻す 失っては引き戻す 忘れては引き戻す 脳の中心へ 意識の中心へ 自分自身が在るところへ それは主体 気づき 意識 自己 本質 気づきを何度でも繰り返す 自分自身を取り戻す そしてそれを逃さない

自分への呼びかけ

気を失いかけている人を目の前にして 私たちがやることと言えば、 「〇〇さん、起きてください!」 と名前を呼び続けることでしょう。 同じように自分自身に対して呼びかけるのです。 「意識、意識、意識」 「主体、主体、主体」 「思い出す、思い出す、思い出す」 「自己、自己、自己」 その時々で自分に訴えかけるフレーズを選んで、 それを中心にローテーションで言葉をまわしていきます。 あまりにひとつの言葉を繰り返すと、 それと同一化し空念仏で眠ってしまうからです。 常に意識的であるための呼びかけです。 呼びかけながら意識を目の内側、 思考の内側、呼吸の内側の気づきに置くのです。 目の内側から目というレンズを通して見ている "あなた自身"に気づいているのです。 "I, Me, 自己, 主体, 意識, プレゼンス, 気づき" その気づきを定着させること。 それが悟りです。

主体とともに

主体とともに在り続ける 主体は目の内側 頭の中 意識の中心にいる 主体は脳自身 脳が脳自身に気づいている 気づきと外界の二重生活 気づきが中心 気づきから生きる

呼吸を数える

呼吸に気づく 呼吸を数える 呼吸に気づき、数えている存在 呼吸の内側の存在 それに気づく それへの気づきを保つ 気づきとともに在る

座禅形式の自己想起

目を閉じ、目の内側に意識を向け続ける 目の内側から目と言うレンズを通して見ている 気づきの意識に気づいている 気づきに気づく 呼吸の内側 思考の内側 意識の中心 この画面を目を通して見ている 目の内側の存在 言葉なく内側から見ている意識 主体 自己 自己意識の中心 それへの留意を保つ それであり続ける そこから生きる 気づいている意識

アジズとの対話

読書をしていると自己を忘れ、本に注意を奪われてしまいます。 しかし、長らく関連図書に触れないと、別の意味で眠ってしまいます。 覚醒にはそれを焚きつける外部からの刺激が必要なのです。 24年前、ウスペンスキーの「人間に可能な進化の心理学」で 初めて自己想起の概念を知って以来、一年間の修行の後、 20数年間眠り続けた私を再び揺り起こしたのは、 アナディことアジズ・クリストフの「アジズとの対話」です。 この本は劇薬です。 アジズは対話の中で、何度も自己への留意、意識の中心へ 注意を呼び戻すことを呼びかけています。 自己想起こそがすべての道に先立つ、最優先課題だと言っているのです。 目の内側 思考の裏側 Me,I, 私 ステート・オブ・プレゼンス 気づき 意識 主体 自己 意識の中心 思い起こす こうした言葉が眠りかけた意識に灯をつけてくれます。 アジズは何より自己想起に重きを置く、真のマスターです。 覚者の言葉で目を覚ましたあと、再び内的な闘いへと戻るのです。

覚醒への参考図書

ナチュラルスピリットの本は、今最も覚醒に近いものが多いです。 やまがみてるお/「いまここ」にさとりを選択する生きかた この本が20数年ぶりに自己想起へ本腰を入れるきっかけになりました。 とてもわかりやすく覚醒の本質を書いてくださっています。 やまがみさんはブログでも情報を発信されていて、 そちらも本同様におすすめです。 誰でも「悟り」プロジェクト   意識の中心みいつけた! http://oyamagamiteru.blog.fc2.com/ そして、本ではありませんがブログで情報を発信される、 無空庵の無空さんも、わかりやすく覚醒を説明してくださっています。 そのお弟子さんのブログがおすすめです! 本当の自分はただ在るだけで幸せです http://nobinobi555.blog.fc2.com/ また、木幡等(こわたひとし)さんのサイトの文章も参考になりました。 木幡等(こわたひとし) Official Website http://www.sky.hi-ho.ne.jp/kowata/ その他、アジズ・クリストフ、フーマン・エマミ、アジャシャンティ、 エックハルト・トールなども基本的に同じことを言っています。

自己想起を知ったのは...

実は私が初めて"自己想起"を知ったのは、今から24年前、 1991年のことです。 以来、思い出してはその都度トライしたものの続かず、 のんべんだらりと22年が過ぎてしまいました。 自己想起は他のどんなワークより厳しく難しく、疲れる作業です。 しかし、2年前の歯痛をきっかけに、また忽然と意識に注意を向け始めました。 この間、父のがんと死や自分の腰痛の激化などで、 数ヶ月作業を忘れましたが、今年に入って再び本格的に作業に入りました。 そしてようやく、ようやく目処がついてきたことで、 このブログを始める決心がつきました。 書き始めることで追い込み、逃げ場をなくすためです。 また、同じような道を歩む方々にとって、少しでも役立つ情報や 知識をご提供できれば... という思いからです。 ですからこれからの日々、折を見ては日記のように 経過を報告させていただくつもりです。

覚醒へのカウントダウン

覚醒へのカウントダウンが始まりました。 私はこの数ヶ月、グルジェフの言う"自己想起"に集中してきました。 自己想起とは字のごとく、自己に気づき、想いだす作業です。 具体的に言うとこういうことです。 はい、今、この画面を見ている"あなた自身"に気づいてください。 椅子に座り画面の字を追う"あなた自身"にです。 どんな姿勢でしたか? 猫背で画面に見入っていませんでしたか? キーボードに置いた手の感覚、床についた足の裏の感覚、 座った椅子の感触を思い出してください。 目の内側からディスプレイを見る"主体"を意識してください。 それは呼吸の内側にいます。 目の内側にいます。 思考、頭のおしゃべりの内側にいます。 頭のうしろ、後頭部、脳の中心、脳自身にいます。 この"主体"に気づき続けるのです。 "主体=自己"に留意し続けるのです。 意識の中心、自己意識の中心から生きます。 そこから外部を眺め、体験します。 外界のできごと、自分の思考、呼吸ですら、 "自己意識=主体"の外側になります。 真の自己、真我、主体、意識はすべての中心に位置します。 芯の芯、核の核、これ以上内部には進めない脳のセンター。 松果体と呼ばれる脳の中心の器官に位置します。 その器官がアクセレーターなのです。 私たちの実態は目に見えない"意識"です。 この"意識"と肉体をつなぐ器官、それが松果体なのです。 松果体が活性化することで、私たちは"意識=主体=自己"との つながりを取り戻します。 松果体を活性化させるには、それに留意すること、 注意を向け続けることが必要です。 すなわち脳の中心に気づいていること、意識を置いていることです。 これを平たく言うと、"自己想起=自分自身に気づく"ということになります。 自分に気づいた状態が四六時中定着することを"覚醒=悟り"といいます。 これは意識の視点が"自我=エゴ